井田は1987年鳥取県生まれ、東京都在住。2015年東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。彫刻という表現形式を問いながら、彫刻・映像・3DCGなど多様なメディアを用いて、目には見えない現代の社会の構造やそこで生きる人々の意識や欲望を視覚化してきた。16年からは、世界中の人々がインターネット上にアップロードしている匿名的な画像を素材として、インターネット以降のモノや身体の在り方を彫刻する「Photo Sculpture」を継続的に制作している。井田は本展に際し、次のステイトメントを出している。
「日常生活や社会システムの中に隠れている、当たり前に消費されているルールや慣習から構造を引っ張り出し彫刻を行う。例えば印鑑や印鑑証明は無くても成立している国があるし、人的、時間的リソースを無駄にしているにも関わらず、未だに文化として残っている。誰かが得しているのだろう。または無くそうとすると大勢が損をするか。
2021年は仮想通貨バブルだったが、上がり続けている時はまだ上がると思い続け、下がり始めてもまた上がるかもしれないと損をしながら、大口の養分となっていく。仮想通貨やブロックチェーン、ビットコインは国が発行するお金に対するカウンターの非中央集権的なシステムであり、ルールさえ分かれば富裕層である上位2%に入れる可能性があるのは資本主義の救いでもあり、そのシステムは欲望の中で生きる人間ぽさが垣間見え、とても愛おしい存在だけれど、経済成長率0.2%を続けた先にある未来がどうなっているのかには興味がある(井田大介)」。
「燃える船から逃れる術はない、炎から逃れる道はただ⼀つ、溺れるだけ。
船から⾶び降りる者あれば、敵の船に近づき乗り移ろうとする者あり、彼らを待つのは⼀⻫射撃。
かくして船上にある者、ことごとく命を落とす。焼かれて海の藻屑となるか、燃えた船とともに⽔没する。」
ジョン・ダン「燃える船」より
井⽥⼤介(いだ・だいすけ)は彫刻という形式を問いながら、具体的な社会事象や現象をモチーフとし、本展では特に井⽥が定義する「彫刻ではない何かが、『彫刻のような構造』を持っているときに垣間⾒せる『彫刻的』な。」という部分に焦点を当て社会の⼀⾯との接続を試みた展⽰となっている。つまり「状態」、「⾏為」、それらから導き出された「結果」それ⾃体が彫刻であると。
----ただ漠然と、続けるだけでは「真理」は掴めない。たが、「続ける」という中に真理があるような様だけは残して----
昨年から続く流⾏病の潮流に悩む私たちは、引き続き停滞を余儀なくされたかのような振る舞いを続けている。外出を控え、⼼を許せる(感染しても尚許せる)⼈にだけ会い、(流⾏)病と戦い勝つ事が(⼀時的に)最も重要であるかのように。その中で「我慢」から「慣れ」への緩やかな移⾏がある種のパフォーマンス性を帯び始めた頃、私は改めて「不条理さ」を痛感せざるを得なかった。
重⼒に抗い⾶び続けることも、落⽯する岩を上げ続ける⾏為も、健康的で且つ少しでも若く⽣き永らえようとする事さえも。そのどれもがやがて訪れ、逃れる事の出来ない結末を内包している。なんと耽美的な意志だろう。
井⽥が本展で垣間⾒せる『彫刻のような構造』は、ほんの少し先ではあるが予測出来ない未来と予測出来る未来の狭間。ちょうど結果が⽣じるその瀬⼾際/瞬間の世界。
落胆するか歓喜するかその⼀瞬の閃光である。⿊瀧 紀代⼠